毎朝、目覚まし時計のベルの音で目を覚ます人も多いのではないでしょうか。
わたしは目覚まし時計の「音が嫌い」でした。
もっと眠っていたいと思っても、雇われて働いているとそれができないのです。
生きていくためにはお金が必要ですから、どうしても我慢して働かなくてはなりません。
わたしはそういった生き方に疑問を感じてしまいました。
自分のやりたいことを追及する「わがままに生きること」を目指してみたのです。
実際会社で働きながら、わがままに生きることは難しいことも分かりました。
そこで会社で働かないという、わがままな生き方ができるのか挑戦しています。
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二度寝をしたらわがままに生きることに目覚めてしまいました
わたしには子供のころから「自由に生きたいという潜在的な夢」があったのかも知れません。その潜在意識が現れてきたのは、雇われて働いていた時でした。
突然の音で無理に起こされると、不愉快な気持ちで一日が始まる時もありますが、ときには目覚ましの音がする前に起きて、ボタンを押すと「勝った」と思ったりもしたのです。
まだ眠いのに目覚ましの音で無理に起こされると、会社に行く事が苦痛に感じてしまう時もあります。
その目覚ましの音を聞くたび「こんな生活は嫌だ!」と思っていました。しかし、そのまま眠ってしまっては無責任な人間になるので、必死に起きていたのですが、若い時はいくら寝ても朝は眠いのです。
目覚ましの音を止めて、もうちょっと思いながら二度寝をしようものなら、間違いなく寝過ごします。
メンタル面が弱い人は、こういった感じで遅刻をするのかも知れません。
すると次第に「会社辞めようかな」と考えるのです。
朝の目覚めの時間が苦痛に感じる人もいると思います。
会社が嫌いというわけでもなく、ただ朝はもうちょっと眠っていたいという気持ちが、わがままな生き方につながったりするのです。
わたしは二度寝をした時から、わがままに生きるスイッチが入ったかも知れません。
わがままに生きることは修行の始まりかも
わがままに生きることで、人にはできない経験もたくさんできます。
仕事をしないでいるとお金がなくなり、お金のありがたみに気づくのです。
生きるために必要なものがあれば、それだけで十分と思えるようになってきます。
わがままに生きることは、精神面の修行にもつながって来るのです。
わがままに生きるにもお金がなければ生活できませんから、会社で働かないでお金を稼ぐとなると、自分の力で何とかしなければなりません。
わがままに生きるための最大の壁がここにあります。
自分の力でお金を稼ぎ続けるのは難しいのです。
わがままに生きることは「夢」なのか
わがままに生きるということは、いい加減に生きることではありません。誰にも迷惑をかけずに自由にやりたいように生きることです。
「お金と仕事にしばられずに自由に生きること」を夢みるという人は結構いるのではないでしょうか。
でも現実はどうですか。個人の力でお金を稼ぐことの難しさを感じていると思います。
お金と仕事にしばられずに生きることを、頭で考えることはできても、実際に行動してみるとその大変さに気づくものです。
お金と仕事にしばられない生き方が簡単にできたら、みんな自由な生き方をしているはずですから。
簡単にはできないことを、いつか叶えたいと考えることが「夢」なのだと思っています。
その夢を叶えるためには「個人の力でお金を稼ぐための方法」を考えなければなりません。
わがままに生きることの「夢」を叶える
自分一人の行動で生活するお金を稼ぐ。
そしてわがままに生きる。
わがままに生きたいと思っても、わがままに生きることは結構難しいことなのです。
ですから人はわがままには生きられないのだと思います。
わがままに生きている人を見るとどう感じるでしょうか。
もし、羨ましいというより、ちょっとでもイラッとする気持ちがあるとしたら、それはわがままに生きたくてもできない嫉妬からかも知れません。
ネットの力があればわがままに生きることができる
わがままに生きる事ができる時代になっていました。
インターネット環境とパソコンがあるのですから、これを利用すればいいのです。
しかしこれをどう利用すればお金が稼げるかが分からなければ、わがままに生きることができません。
テレビなどで「マジック」を見たことがあると思います。
でも「なぜ?」と驚くだけで、その仕掛けも全く分からないでしょう。
ネットでお金を稼ぐこともマジックと同じことかも知れません。
手品やマジックをする人たちは、日々練習をして努力をしています。
ネットでお金を稼ぐことも、日々の努力の積み重ねをした結果です。
ネット環境とパソコンがあるなら、ネットで調べてチャレンジしてください。わがままに生きる扉を開けられるかもしれません。
わがままに生きるというのも哲学
わがままに生きるというのも、継続していれば一つの哲学だと思っています。
わがままに生きる積み重ねの中で、生きる喜びや辛さを感じて、感謝する気持ちもでてくるのです。
人それぞれ生き方感じ方も違うのですから、わがままに生きる人生も一つの生き方になります。
わがままに生きようと強く思って行動しないと、わがままの途中で挫折して、普通の生き方に戻ってしまうかも知れません。
わたしは長いことわがままに生きてきたら、自分の体内時計の目覚ましで、自然に起きられる幸せを感じています。
【わがままに生きるまとめ】
わがままに生きるためには、お金というありがたくて厄介な壁を越えなければ難しい。
わがままに生きたいという気持ちだけでは、わがままに生きるを楽しめない。
わがままに生きることも哲学。