投資の「数字の呪縛」と、YouTubeにおける「再生数・登録者数の呪縛」。この二つは、形は違えど心に突き刺さるトゲとしては全く同じです。
「もう辞めてしまえば楽なのに……」という悪魔のささやきと、「それでも稼ぎたいと思う欲」という消えない情熱。
その狭間で揺れ動くシニアクリエイターの葛藤を、YouTubeの文脈で深く掘り下げて書いてみました。
「YouTubeなんてやるんじゃなかった」登録者数と再生数に支配された日々の、抜け出せない葛藤
投資の世界には「リスク許容度」という言葉がありますが、YouTube運営にも、まさに「精神的なリスク許容度」が存在します。
最初は「登録者数1,000人の壁」。これをクリアすれば安泰だと思っていたのに、待っていたのは「再生数という終わりのないテスト」でした。
70歳でカメラを回し、アナリティクスの画面に一喜一憂した日々。それは、数字に自分の価値を値踏みされるような、あまりにも過酷な「洗礼」でした。
「チャンネル登録者数1,000人」という、最初の高い壁
収益化という「魔法の杖」を夢見て、チャンネルを開設しました。目標は登録者数1,000人。
数字が1人増えるたびに胸が高鳴り、減るたびに背筋が凍る。
100円の節約すら切実だった日々の中で、YouTubeというプラットフォームは、まさに自分の未来を賭けた大勝負の場でした。
条件クリアのその先に待っていた「再生数」の呪縛
ようやく1,000人の壁を越えたとき、私は安堵するはずでした。しかし、現実は違いました。
収益化の条件をクリアした途端、今度は「最新動画の再生数が伸びない」という別の恐怖が襲いかかってきたのです。
1,000回再生か、100回再生か。この数字一つで、自分の存在意義まで否定されたような気分になる。
これはまさに、新NISAの基準価額に一喜一憂していた時の感覚と全く同じでした。生活を支えるものだからこそ、数字が「人生の重み」を背負ってしまうのです。
辞めれば楽になるはずなのに、なぜ投稿ボタンを押してしまうのか
正直、動画編集の苦労や、結果が出ない徒労感を考えれば、「もう辞めてしまえばいい」と何度も思いました。
しかし、辞められないのです。それは、「誰かに自分の声が届いた瞬間」の喜びを知ってしまったから。
この葛藤こそが、表現者として歩むための「愛おしい痛み」なのかもしれません。
数字の向こう側に見つけた「本当の価値」
「毎日アナリティクスの数字ばかり見ていて、これが本当にやりたかったことなのか?」
最初は、そう自分を問い詰めて苦しむこともありました。
しかし、ある時を境に、私の心境は劇的に変化しました。
数字を見て一喜一憂するのではなく、数字を「答え合わせのヒント」だと捉えるようになったのです。
「なぜこの動画はクリックされたのか?」「なぜあの動画は、途中で視聴者が離脱したのか?」
そう自問自答し、仮説を立て、次の動画で試してみる。それは、まるで印刷現場で版下を完璧なものへと仕上げるために、何度も作り直し、細部を削り出したあの職人時代と、全く同じ熱量でした。
なぜこの数字なのか?分析と試行錯誤を楽しめるようになった
数字が伸びるかどうかは、結局のところ誰にも分かりません。
しかし、「なぜ?」という問いを持って試行錯誤すること自体に、最高に面白いゲームのような楽しさを見出したのです。
数字が伸びない日があっても、もう怖くはありません。それは「失敗」ではなく、「次の手が打てる」という貴重なデータが得られただけのことだからです。
数字の呪縛から解き放たれるとは、数字を見なくなることではありません。
数字に振り回されるのではなく、数字を飼い慣らし、自分の表現をより研ぎ澄ますための「コンパス」として使いこなせるようになること。
そう気づいたとき、私のYouTube運営は、重苦しい義務から、一生飽きることのない最高の挑戦へと姿を変えていました。
まとめ:発信の「利回り」は、誰の心に届いたかで測る
70歳で始めたYouTubeは、投資と同じく「凪(なぎ)」の境地へとたどり着くための道でした。
チャンネル登録者数や再生数という数字に振り回されず、自分の声を大切にする。この強さを持つことが、YouTubeを人生の味方にする唯一の方法です。
数字の向こう側にある、「伝えたい想い」を守るために。これからも、一喜一憂しない「鈍感力」を武器に、自分だけのチャンネルを育てていきます。
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