地球上に住む生き物のことを考えてみたら、人間以外は働いているとは思えません。
動物は自然の中で、生きるための食べ物を探して日々生きています。
人間ももとはこういった自然の中で、食べ物を探しながら生きていたことは間違いありません。
生き物にとっては、食べることさえできれば生きていられます。
人間も毎日食べる事ができれば、働く必要などないはずです。
しかし、自然の中で食べ物を探して生きようとしても、いまの時代は土地自体が誰かの所有物になっていますから、勝手に採って食べることはできません。
なんのために働くのか意味がわからないので人生をかけて探してみました
わたしが人生をかけて探してみた個人的な考えですが、なんのために働くのかという意味がわからないのは、お金というありがたくて厄介な存在があるからだと思っています。
お金というありがたくて厄介な存在から解放された時、働く意味も分かるのかも知れません。
地球上で人間だけが働いているとしたら、そこには働く意味がありそうなので、とりあえず実際に働いてみてその意味を考えてみました。
単純に働く意味を考えれば、お金を稼ぐためということが一般的です。
中には自分の好きなことだから、その仕事をしている人もいるでしょう。
そういった人たちには、働く意味など無意味なことなのかも知れません。
それでも結果的にお金を稼いでいることには間違いありません。
お金はなくても大丈夫といっても、どうしてもお金は必要なのですから、お金というありがたくて厄介な存在を、無視することはできないのが現実です。
ですから人間として生きている以上は、なんのために働くのかというと、生活するためにお金を稼ぐ必要があるのです。
恐らくそういった答えなら、聞くまでもなく分かっているでしょう。
働かないでいるとどういった意味があるのか
もっと別の次元での『なんのために働くのか意味が分からない』を考えているのだと思います。
わたしもなんのために働いているのか分からない疑問があったので、転職を7回ほど繰り返しました。
自分でもなんのために働くのかの答えが、見つからないまま働いていたのです。
7回目の失業をした時に8回目の就職先を探してみたら、どこの会社も雇ってくれませんでした。
これを機会に働くという行動をやめてみたのです。
なんのために働くのか意味がわからないなら、働かないでいるとどういった意味があるのかという、働かない意味も考えてみたのです。
なんのために働き何のために生きるのか分からない
そういった生活をしているうちに、何のために生きているのかという意味も考えるようになりました。
なんのために生きて、なんのために働くのかという意味を考えていたら、お金がなくなってきたのです。
食べるものが買えている時は、考える余裕もあったのですが、いざお金がないという現実が迫ってきたら、生きるために何とかしなければなりません。
この時は食べて生きるために働く、働いてお金を稼ぐという意味も理解できました。
しかし、働こうと思っても雇ってもらえないのですから、働く意味などどうでもよくなってしまったのです。
生きるために何とかしなければならないという思いが強くなってきました。
その時に感じたのが、生きるための一つの手段として「働くという選択肢」があったということです。
なんのために働くのかという意味が知りたければ、働き方は自分で決めて自由に生きてみてはどうでしょう。
なんのために働くのか分からないので自分で始めた
わたしはなんのために働くのかその意味を確かめるために、自分で仕事を始めました。
今の時代はインターネットとパソコンがあるので、自分の生活費くらいは何とか稼げます。
自分でお金を稼いで自由に生きてみたら、なんのために働くのかという意味など考えなくなりました。
心の中にある欲を少しづつ減らしていけば、今日生きられる食べ物があればそれで十分なのですが、いまの時代はそれだけでは生きられないないのが現実です。
こんなに豊かな時代に生まれ育って、なんのために働くのか生きるのかも、はっきりとわからないのですから、心の中のもやもやもはっきりしません。
ひょっとして全ての悩みは自分の心の中の、本能からくる違和感からではないでしょうか。
本来なら自然から収穫して食べるという本能だけでいいのに、人間は働くことを選択してしまったことがそもそもの間違いだったのでは……。
雇われて働くことを始めた時から、働くことに違和感があるとしたら、なんのために働くのか意味が分からないのも自然なことです。
なんのために働くのかの意味は自分の心の中にあった
働くという意味の中に、自分が生き抜くための「心」という精神面も感じました。
生きる生物は食べなければ生きられません。
人は遅かれ早かれ80歳から100歳位までいきれば、もうこの世に存在しないのですから、それまでの食料を得る本能の一つが働くということのような気がしています。
頭ではお金という存在を必要としながら、人や会社に雇われているから、働くという心の違和感を感じて「なんのために働くの?」という意味を探すのです。
そういったどうしようもない現実に日々悩んでいるから、なんのために働くのかという意味が分からないのだと思います。
そして、年金だけでは暮らせない現実が、より「なんのために働くのか生きるのか意味がわからない生き方」になっているのかも知れません。
【まとめ】
あなた自身が働けなくなった時に人生を振り返ってみれば、なんのために働いたのか結果が分かる時が来ます。
あなたの脳が考えた通りに自分自身を動かし、働いてきただけのことだと気づくでしょう。
あなた自身の脳は、なんのために働いているのか意味は分かっていると思います。
全ての結果はあなたが考えた通りの人生であった事に気づいていますか?
結局あなた自身の脳が選択した生き方がすべてなのですから、後悔のない生き方をするしかありません。
【わたしの結論】
働く意味を精神的な次元で考えてみましたが、結局わたしのような脳みそでは、結局なんのために働くのか意味がわからないまま、自由な生き方となってしまいました。
なんのために働くのか意味がわからなくても、生きるってすごく大変ですね。