65歳の誕生日を迎える数か月前に、手元に緑色の封筒が届いたとき、部屋の隅に置かれた紙袋には、「紙切れ」が詰まっていた。
年末ジャンボ、ロト6、そして週末の競馬の馬券。
「買わなきゃ当たらないからね」
それが、30年間使い古してきた口癖だった。
ギャンブル、宝くじは結局30年間当たらなかった!

若い頃から、手取りの給料の中でコツコツ貯金をする同僚たちが、酷く退屈な人種に見えていた。毎月1万円、2万円を貯金に回したところで、30年後に一体いくらになるというのか。そんなちまちました金額では、人生は大して変わりはしない。
それよりも、毎週金曜日の会社帰りに「もしかしたら、数千万円、いや数億円の富豪になっているかもしれない」と胸を躍らせる瞬間のほうが、よっぽど私の「生きがい」だったのだ。
日常の退屈を忘れさせてくれる、安上がりのエンターテインメント。明日への希望という名の、最高に気持ちのいい妄想。
「どうせ普通に生きてたって、老後の資金なんて貯まりっこない。だったら、一発逆転に賭けるほうが合理的だ」
本気でそう思っていた。自分の浅はかさに気づかないまま。
「外れクジの山」と「現実の通帳」
そして今、私は現役を退き、毎月振り込まれる年金の支給額を凝視している。
額面を見て、背筋が凍りついた。現実は非情だ。
妄想の中の億万長者はどこにもおらず、目の前にあるのは「今日の食費」すら切り詰めなければならないという、生々しい現実だけだった。
ふと計算してみたことがある。
毎月、宝くじやロト、たまの競馬に投じていたお金は、平均して月2万円ほど。年間で約24万円。30年間で実に720万円もの大金を、私は「夢」という名の煙に変えてしまったことになる。
手元に残った当せん金は、せいぜい数万円の「お小遣い」程度。文字通り、ドブにお金を捨て続けていたのだ。

もし、あの時。
「投資なんて元本保証もないし、怖いだけだ」と、学びもしないで突っぱねていたあの時。
同僚が進めてくれた「地道な積立投資」や、今巷で大流行している「新NISA」のような仕組みに、あの月2万円を回していたらどうなっていただろう。
世界経済の波に乗せて、じっくりと、退屈だけど着実に資産を育てる選択をしていれば、私の手元には元本を遥かに超える、1,500万円以上の確固たる「安心」が残っていたはずなのだ。
私が支払っていたのは「エンタメ代」なんかじゃない。
「自分の老後の安心」を切り売りして、その日暮らしの快楽を買っていただけだったのだ。
妄想から目覚めたとき、人生は引き返せない
同世代の友人は今、新NISAなどで築いた資産を原資に、夫婦でささやかな国内旅行を楽しんだり、孫にお小遣いをあげたりしている。
彼らの表情には、私のような「明日への焦り」がない。若い頃、退屈にまみれて地道に生きてきた彼らが、人生の後半戦で圧倒的な「自由」を手に入れている。
一方の私は、スーパーの特売品を巡り、冷暖房の電気代をケチりながら、「あの時、もし当たっていれば……」と、未だに終わった過去の妄想にすがろうとしている。情けなくて、涙が出た。
ギャンブルや宝くじが悪いとは言わない。
けれど、もしあなたが「現実の生活が苦しいから」「どうせ貯まらないから」という理由で、一発逆転のクジに未来を託しているなら、どうか私の姿を見て、正気に戻ってほしい。
現実から目を背けて買った「明日への希望」のツケは、老後という、人生で最も身動きが取れない時期に、容赦なく一括請求される。
5年後、10年後のお金で差がつくのは、運の良し悪しではない。
「妄想に金を払うか」、「現実の資産に金を払うか」という、ただそれだけの違いなのだ。
年金手続きの説明を読んだ後、私は外れクジの山をごみ箱に捨てた。
もう遅すぎるかもしれない。けれど、私は今日から、1枚のクジを買うのをやめ、現実の1円を惜しむ生活を始めようと思う。
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